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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)10845号 判決 1990年4月24日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金九〇〇万円及びこれに対する昭和六三年八月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告代理人の堀田美和子(以下「堀田」という。)は、被告宮本靜子(以下「被告宮本」という。)との間で、昭和六〇年九月七日、同被告の所有にかかる別紙物件目録記載の建物部分(以下「本件貸室」という。)につき、同被告を貸主、原告を借主とする左記約定の賃貸借契約を締結した(以下「本件賃貸借契約」という。)。

使用目的 住居

賃料 月額金三万円、ほかに雑費月額金二〇〇〇円

期間 昭和六〇年九月七日から昭和六二年九月六日までの二年間

(二)  被告秀徳株式会社(以下「被告秀徳」という。)は、不動産業者であり、本件賃貸借契約の締結に立ち会い、その仲介をした。

2  被告らは、原告が本件賃貸借契約上の義務に何ら違反することがなかったにもかかわらず、昭和六二年二月から三月ころにかけて原告が亡妻森本とらえの看病、葬式等のため地方に出て本件貸室を不在にしていた間に、原告の本件賃貸借契約に基づく借家権を侵奪しようと共謀し、又は原告の右不在を借家権の放棄と即断し、そのころ、本件貸室内にあった原告所有の動産を原告に無断で搬出したうえ本件貸室を第三者に賃貸して入居させ、もって、故意又は過失により違法に原告の右借家権を喪失させた。

3  昭和六二年三月当時の右借家権の時価は金九五二万円をもって相当とすべきであり、原告は、右借家権の喪失によりこれと同額の損害を被った。

よって、原告は、被告らに対し、共同不法行為による損害賠償請求として、連帯して右損害金九五二万円のうち金九〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六三年八月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の(一)、(二)の各事実は認める。ただし、本件貸室のうちの台所部分の面積は約一・六五平方メートルである。

2  同2の事実のうち、原告が昭和六一年一二月以降不在であったこと及び被告宮本が本件貸室内にあった動産を搬出しその後被告秀徳の仲介により本件貸室を第三者に賃貸し引き渡したこと(ただしその時期の点は除く。)は認め、その余は否認する。本件貸室内にあった動産を搬出したのは昭和六二年九月末日ころである。

3  同3の事実は否認する。

三  抗弁

1  本件賃貸借契約は、次の(一)又は(二)の理由により無効であり、原告は、そもそも本件貸室について借家権を有していなかったものである。

(一) 要素の錯誤による無効

(1) 原告は、明治三四年一月三〇日生まれであるから、本件賃貸借契約締結当時、既に年齢八四歳であった。

(2) 被告秀徳の代表取締役鈴木秀彦(以下「鈴木」という。)は、被告宮本の代理人として本件賃貸借契約を締結したものであるが、右契約締結の際、堀田が同行した年齢三五歳位の原告とは別人の男性が借主となる原告本人であると誤信していた。また、被告宮本は、借主となる人は年齢五二歳位の人物であると誤信していた。

(3) 被告宮本及びその代理人鈴木の右誤信は、本件賃貸借契約における主観的にも客観的にも重要な事項である借主の同一性、性状に関するものであり、要素の錯誤というべきである。

(二) 詐欺を理由とする取消し

(1) 原告代理人の堀田は、本件賃貸借契約の締結に際し、被告秀徳の代表取締役で被告宮本の代理人の鈴木に対し、原告が当時既に年齢八四歳の男性であったにもかかわらず、年齢三五歳位の原告とは別人の男性を同行したうえ、借主となる原告本人であると紹介して鈴木を欺き、その旨誤信させて右契約を成立させた。

(2) 被告宮本は、原告に対し、平成元年九月一二日の本件口頭弁論期日において、右契約を取り消す旨の意思表示をした。

2  本件賃貸借契約は、次の(一)ないし(三)の理由により被告宮本が本件貸室内にあった動産を搬出した昭和六二年九月末日ころ以前、既に失効するに至っていたものであるから、原告は右の当時本件貸室について借家権を有していなかったものである。

(一) 合意解除

昭和六二年三月ころ、原告代理人の堀田と被告宮本は、本件賃貸借契約を合意解除した。

(二) 更新拒絶による期間満了

(1) 被告宮本は、原告が昭和六一年一二月以降本件貸室を不在とし賃料も遅滞するようになったため、昭和六二年三月ころ、原告代理人の村井謙仁(以下「村井」という。)に対し、本件賃貸借契約の更新を拒絶する旨通知した。

(2) よって、右契約は、昭和六二年九月六日の期間満了をもって終了した。

(三) 特約による当然解除

(1) 本件賃貸借契約において、被告宮本と原告代理人の堀田は、借主である原告が無断不在一か月以上に及ぶときは右契約は当然解除されることを特約した。

(2) しかるところ、原告は昭和六一年一二月以降被告宮本に無断で本件貸室を不在としたものであるから、遅くとも昭和六二年九月末日ころまでには、右契約は右特約により既に当然解除されるに至っていたものというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の冒頭の主張は争う。

(一) 抗弁1(一)(1)の事実は認める。

同(2)の事実は否認する。

同(3)の主張は争う。

(二) 抗弁1の(二)(1)の事実のうち、借主となる原告が本件賃貸借契約締結当時既に年齢八四歳の男性であったことは認め、その余は否認する。

2  抗弁2の冒頭の主張は争う。

(一) 抗弁2の(一)の事実は否認する。

(二) 抗弁2の(二)(1)の事実のうち、原告が昭和六一年一二月ころ以降本件貸室を不在としたことは認め、その余は否認又は不知。

同(2)の主張は争う。

(三) 抗弁2の(三)(1)の事実は認める。

同(2)の事実のうち、原告が昭和六一年一二月ころ以降本件貸室を不在としたことは認め、その余の事実は否認し主張は争う。

なお、原告が右のとおり不在としたのは、亡妻森本とらえの看病、葬式等のため地方に出ていたからであるところ、かような理由のある不在は、被告ら主張の特約においても許されてしかるべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1の(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがない(ただし、本件貸室のうちの台所部分の面積については、弁論の全趣旨によれば約一・六五平方メートルであるものと認められる。)。

二  そこで、抗弁1の(一)(本件賃貸借契約の要素の錯誤による無効)の主張について判断する。

1(一)  まず、抗弁1(一)の(1)の事実(原告が明治三四年一月三〇日生まれで本件賃貸借契約締結当時既に年齢八四歳であったこと)は当事者間に争いがないところ、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、本件賃貸借契約の締結の際の経緯として、以下の(1)ないし(5)の事実が認められる。

(1) 昭和六〇年九月六日、大一建設株式会社(ただし、同会社は、昭和五四年一二月二日に商法四〇六条の三第一項の規定により解散されていた。)の社長と称する村井が堀田とともに有限会社弘信商事(以下「弘信商事」という。)を訪れ、弘信商事の代表取締役桑原弘光(以下「桑原」という。)に対し、大一建設の従業員で年齢三五、六歳位の男に住む所を与えなければならないので賃貸アパートを紹介して欲しい旨依頼した。

(2) しかしながら、弘信商事には適当な紹介物件がなかったため、桑原が知り合いの不動産業者である被告秀徳に連絡したところ、適当な紹介物件があるとの返事を得た。

(3) そこで、桑原が村井らとともに被告秀徳の店舗に赴いたところ、被告秀徳の代表取締役鈴木は不在であったが、とりあえず本件貸室を案内され、村井らは、翌日借主本人を弘信商事に行かせるので本件貸室を貸して欲しいとの希望を示した。

(4) 翌九月七日、被告秀徳の鈴木は、桑原から前日の経過を聞かされたので、これを家主である被告宮本に連絡した。その際、被告宮本が鈴木に対し、借主となる者の年齢を尋ねたところ、五二、三歳位の者であるとの返事があり(これは何らかの思い違いと考えられる。)、被告宮本はその客に本件貸室を賃貸することを承諾し、契約の締結等その後の手続については鈴木に一任した。

(5) 他方、同日、堀田が年齢三五、六歳位の原告とは別人の森本と称する男性を伴って弘信商事を訪れたため、弘信商事の桑原は、右両名を被告秀徳に同行し、鈴木に対し、同行した男性を借主の森本であるとして紹介した。このような経過から、鈴木は、右男性が借主となる森本剛成本人であると信じ、被告宮本を代理して本件賃貸借契約の契約書に調印した。

以上のとおり認められる。

<証拠>中、右認定に反する供述部分は、原告が本件貸室を必要とした理由や本件賃貸借契約締結の際の事情等についていずれもあいまいな点や不自然な点が多く、<証拠>に照らしても採用し難い。

また、<証拠>中には、右認定と抵触する趣旨の供述部分があるけれども、これは、<証拠>によれば同人の記憶違いによるものであることが窺われるので、右の認定を左右するものではない。

そして、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  右(一)認定事実及び争いのない事実によれば、本件賃貸借契約締結について被告宮本を代理した鈴木は、堀田が同行した年齢三五、六歳位の男性を借主と誤信して原告との間で本件賃貸借契約を締結したものであるから、契約締結前鈴木から報告を受けていた被告宮本も、八四歳にもなる高齢者に賃貸することになるとは全く思ってもいなかったものということができる。

2(一)  そこで、抗弁1(一)の(3)の主張について判断するに、建物賃貸借のような継続的な契約関係においては、契約当事者間の個人的な信頼関係が重要性をもつものであり、ことに、<証拠>によれば、高齢者に対する住居の賃貸は管理上様々な問題があり、トラブルが発生するおそれが大きいこと等の理由から、弘信商事及び被告秀徳では仲介を差し控えており、被告宮本においても、その所有にかかる本件貸室を含む大堀荘を年齢六〇歳以上の高齢者に賃貸することは断わっており、仮に、原告が八四歳の高齢者であったことを知っていたならば、原告への本件貸室の賃貸を承諾しなかったであろうこと、そして、一般的にも、原告のような高齢者が借主となってアパートを賃借するのは困難な状況にあることがそれぞれ認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  右のような事情を踏まえて考えると、本件賃貸借契約において借主がどのような人か、ことに借主が高齢者かどうかは契約の要素であって、被告宮本の代理人鈴木の、前記1で認定した借主となるべき原告本人の同一性ないし年齢についての錯誤は、要素の錯誤に当たるものと解するのが相当である。そして、被告宮本が認識していたところと鈴木の認識には若干の食い違いがあるが、このことは右の結論に影響を及ぼすものではない。

3  以上によれば、抗弁1(一)の主張は理由があり、本件賃貸借契約は要素の錯誤により無効なものであって、原告は本件貸室についてそもそも借家権を有していなかったものといわざるを得ない。してみると、右契約が有効であることを前提とし、これによる借家権の喪失を損害としてその賠償を求める原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。

三  よって、原告の本訴請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原健三郎 裁判官 土居葉子 裁判官 寺本昌広)

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